9月19日未明、安全保障関連法案が参議院本会議において賛成多数で可決され、成立した。
大変、もやもやしたものが心に残っているが、うまく言葉にならない。そこで、今回の法案を語る時よく引き合いに出される「60年安保」の成立前後の状況を、青江舜二郎はどう見ていたのかを、活字になっているものから紹介してみたい。
安保条約問題がとうとうこじれにこじれてしまった。
私は、はじめは何となく反対(大きらいな岸内閣のやることだから)、そのうちに、これではいけないと、さいわい知りあいに保守党の議員が何人かいるので、会合のたびに内容をたずねた。
「いままでは無期限だった。それがとにかく十年という期限つきになったのだからそれだけでも進歩じゃないか。自由だ平和だとあなたたちはおっしゃるが、いま日本の安全が、アメリカの保護なくしてささえられているとそれではお考えか。アメリカがいなくなったその日からソ連が暴力的に侵入してくることはいままでのインチキなやり方からいってまちがいない。そのことを権力亡者の左翼はべつとして一般国民が歓迎しているとでも思っているのか」……
そういわれて見ると、なるほどと思う。恐らく、この議会が解散になり、選挙がおこなわれても、やはり保守党が優勢で、社会党が天下をとることはなさそうだ(にもかかわらず、なぜ解散をしないのだろう)。そしてまたこの問題が論議され、いよいよ本決まりになる。それならそれでいいか? ……となるとやはり釈然としない。
第一、私には、国民の総意がどこにあるかもたしかめないうちに、政府が勝手にアメリカへ行って何かを決め、帰って来てそれを議会にはかるという順序がわからないのだ。法律ではどう決められているか知らないが、民主国家の国民常識からいって逆だと思う。社会党なんかでも、藤山や岸があちらへゆく前にもっとそのことで手を尽くすべきではなかったか。
日本国土の安全は、国民にとってまず考えなければならない問題だ。――とすれば、まずそれが、日本の立場において自由に、独立国の独立人の尊厳において′沒「されるべきではないか。それをいいかげんにしておいて、政府がアメリカと取引するのもドレイ的なら、帰ってくると、反対党がそのことの是非よりも、むしろ反米≠ニいう立場においてさわぎ立てるのも多分にかたよっている。社会党がアメリカ大使館へ行って、アイゼンハワー大統領に来てもらいたくないと申し入れたなど醜態のかぎりだ。相手がフルシチョフならグウの音も出ないじゃないか。一体、議員の社会的作法をどのように心得ているか。しかもまるで筋をとりちがえている。問題はアメリカではない。日本なのだ。アイゼンハワーに何の罪がある。ゆるせないのは彼でなくその前にペコペコして、何事かをとり決めて来たやつらだ。彼らは自分らの利欲のためにそれをなし、それゆえに、条約の内容を、ほんとうに私たちに説明することができない。それではそれに反対する社会党にどんなよい代案があるというのか。いまのままでは、私たち日本人は、永久にドレイ的境遇からぬけ出すことはできないのだ。
私は、改定安保に反対の意志を表明し、デモにも参加した。しかし多少ほかの人とちがう点があるのではないかと思う。残念ながら私には、改定安保の内容が、私の努力にもかかわらず、いまだにのみこめないので、確信をもって賛成もしくは反対ができない。だから私は、いま早急に、それをおし通すことに反対するのであって、やがて、改定安保がよいとわかれば、賛成するかも知れないのである。しかしいまのままでは、ぜったいにがまんがならない。
上の文章は、雑誌『若い芸術』1960年7月号掲載のコラム「はくしょん記」からの抜粋である。書かれたのは成立直前の同年6月上旬ごろと思われるが、あまりにも今回の法案をめぐる状況と酷似しており、55年前の文章を読んでいる気がしない。まさに「歴史は繰り返す」である。野党にきちんとした代案がないこと、国民への説明が足りないことも同じだし、何より「国民の総意がどこにあるかもたしかめないうちに、政府が勝手にアメリカへ行って何かを決め、帰って来てそれを議会にはかる」というやり方が、そっくりそのままであることに驚かされる。55年が過ぎても、日本という国の「ドレイ的境遇」は少しも変わっていない。
次に取り上げるのは、この4年後の1964年に執筆された「干拓」という長編戯曲の一場面。掲載誌は『劇と評論』1968年秋季号。
劇中の住吉は20代なかばの建設所員、北見は初老の詩人である。
住吉 ぼくが学生の頃、あの安保斗争がおこりましてね、ぼくはやはり何も彼も放り出してあの運動に熱中しました。あれでもって政府をへこませることができれば、日本はきっと、はげしく、よくなると、固く信じていたのです。しかし結果は……
北見 ああ、あれはわしも参加した。若い連中とスクラムを組んで、何べんもデモ行進なんかやって……
住吉 ぼくはあの運動の挫折が、日本の方向を決したと思っているんです。日本の敗北を致命的にしたのは敗戦ではなくて、あの斗争ではなかったでしょうか。あのもうれつにふくれあがった革新の気運が、決定的な一夜があけると、まるでゴム風船のようにスーッとしぼんで行った。そして、ぼくは……それ以来、心のどっかがいたんでしまって。仲間はみんなあのショックからまもなく立ちなおったようでしたが、ぼくは……まだだめなんです。……何か、決定的な瞬間がせまってくると、ぼくは急に不安になってからだが動かなくなる。また何も彼もだめになるんじゃないかという気持がして……
今回の燃え上がったデモも、やはり「ゴム風船のようにスーッと」終息していくのだろうか。