
一昨日、「大どろぼうホッツェンプロッツ」という人形劇を見て来ました。
人形劇団ひとみ座によるこの劇は、今から30年以上前の1972年に初演。その時の脚本を青江舜二郎が書いています。
今でもよく覚えているのですが、私が小学校2年生の時、誕生日のプレゼントでもらって読んだ原作本(偕成社版)がとても面白く、それを青江に見せたところ、「たしかにこれは面白い。人形劇にしたら子どもたちが喜ぶだろう」ということになり、以前から縁のあったひとみ座に話を持ち込んで、とんとん拍子に話が決まったそうです。
お話の方は、おばあさんが大切にしていたコーヒーひきを大どろぼうのホッツェンプロッツに盗まれ、それを取り返すために孫のカスパール(利発な少年)と、その友だちのゼッペル(こちらはちょっと抜けた性格)が奮闘するという、笑いあり、サスペンスありの冒険活劇。ひとみ座は1972年4月から翌年の3月まで、この作品の全国の小学校巡演を行い、私の通っていた小学校にもやって来ました。開演前の口上で、主宰の方が、「この地区の青江舜二郎先生が脚色した『ホッツェンプロッツ』、いよいよ始まりです」と挨拶された時には、密かに誇らしい気持ちになったものです。
この「大どろぼうホッツェンプロッツ」は大変に好評だったようで、その後もたびたび再演され、そして最近では、2005年から新演出の「大どろぼうホッツェンプロッツ」を、ひとみ座は「劇団の代表作」と銘打って上演しています。しかし、再演に際し劇団からの連絡は特になく、最近の公演情報を見ても青江の名前は入っていません。ですから、あの時の脚本ではなく、新たに書き下ろしたもので上演しているのだろうと思っていました。とはいえ同じ演目ですし、「最新版」が果たしてどういうものか前々から興味があったので、この度、比較的近い新百合ヶ丘で行われた公演を観に出かけたというわけです(
川崎・しんゆり芸術祭2009のプログラムの1本として上演)。
結論から言うと、やはり青江の脚本とは異なっていました。私は原作本と青江の脚本の両方に改めて目を通した上で上演を見たので間違いありません。ストーリーはどちらもおおむね原作に沿っていますが、最新版では、人形ならではのオーバーアクトというか、ドタバタや繰り返しが強調され、より娯楽色が強くなっているように感じました。これも時代の流れというものでしょう。テレビゲーム世代の子どもたちには、セリフ中心よりも動き中心でアピールした方が、確実に受けがいいでしょうから。実際、ドタバタは大変受けていました。しかしその分、ストーリーや心情を語る部分がいくらか薄くなっているように思えたのが残念です。
たとえば、物語の後半のキーになるキャラクターのスズガエル(実はアマリリスという妖精だが、魔法使いの手でカエルの姿にされてしまっている)は、青江脚本では泣き虫でかなりイジイジした性格に描かれ、カスパールが彼女を元の姿に戻せる妖精草を取ってきても、深い池の中にいる彼女は、「届かないわ」などとめそめそしています。それが最後の最後、魔法使いが二人に迫ってくる、という危機一髪のところで、カスパールは、
「とべ! 精一杯とぶんだ。きみはカエルだろう!」
と叫び、それでスズガエルは思い切りジャンプして妖精草に触れ、元の姿に戻るという展開になっています(このセリフは原作にはない、青江のオリジナルです)。
これが最新版になると、スズガエルは普段は深い池の中にいるものの、平気でピョンピョン丘の上にもあがってきていて、また、カスパールを背中に乗せて妖精草を取りに行く手助けをするなど、初めからかなりパワフルです。「イジイジしていたキャラクターが、土壇場で勇気を出して行動を起こす」というのが、ドラマにおけるひとつの転換点、いうなればクライマックスだと思うのですが、そういう展開の妙はなく、しかも、元の姿に戻るためには妖精草でお腹を3回こすらなければいけない、という設定が加えられ、そのために腹ばいになるカエルの「へんな格好」で笑いを取ろうとするのも、緊迫感を前面に出すべきクライマックスの演出としてはいささかミスマッチでは?と思ってしまいました(この辺は多分に好みもありますが)。
しかし、最新版の方が明らかによくなっていると感じた点もあります。それは、少年たちが魔法使いの城を脱出してからラストに至る流れです。実は、この作品は題名が「大どろぼうホッツェンプロッツ」というとおり、本来の主人公はホッツェンプロッツのはずなのですが、原作では中盤以降、魔法使いとスズガエルが話の中心になり、そのあげくホッツェンプロッツは魔法使いによってウソドリに変えられ、あとはラストでバタバタ逮捕されるだけの哀れな存在で、後半はほとんど活躍するところがないのです。そして青江脚本も、原作のこの流れを踏襲しています。ところが今回見た最新版では、ウソドリに変えられたホッツェンプロッツが、崩壊寸前の魔法使いの城から、ゼッペルを助け出す、という見せ場を作り、さらに、人間の姿に戻って逮捕される時も、悪あがきをせず自分から縛につくなど、主人公らしい存在感を示しています。さらに連行される前の、
「おじさんありがとう」
「お前らもカッコよかったぜ」
などという少年二人と大どろぼうとのエール交換は、原作にも青江の脚本にもない完全なオリジナルですが、なかなか爽快感のある幕切れのセリフでした(もっとも、原作ではその後「ふたたびあらわる」等の続編が書かれるため、ホッツェンプロッツを悪人のままにしておく必要があったのかも知れません)。
それから、ホッツェンプロッツの俳優さん(人形の操演とセリフの両方を担当)の声がよすぎて、正直びっくりしました。初演の時には、もっとおっさん臭いダミ声で、道化的な三枚目の雰囲気だったのですが、今回はあきらかに二の線、でも考えてみればタイトルロールなんですから、その方が正統派です。そういった変遷にも新鮮味を感じました。
とにかく、30数年ぶりに見た「ホッツェンプロッツ」、脚本は変わっていたものの、人形デザインは昔どおり、ストーリーも大筋はそのままですから、見ていくうちに、小学校3年生当時の気分が、時おり心に蘇ってくるのでした。ひとつのレパートリーが時間を越えて生き続けるのはいいものです。休憩時間や帰り道、何組かの親子の話に耳を傾けてみたところ、子どもたちのパパやママの中には、子どものころ「ホッツェンプロッツ」の人形劇を見たことがある、と言う人が何人かいたようでした。だとしたら、それはまさしく青江が脚本を書いていた時のものです。こんなところで、そんな昔の観客と「再会」できたのもささやかな収穫でした。
それにしても、小さい子はやっぱり大どろぼうとか魔法使いのデザインが怖いんですね。始まって5分と経たないうちに、大声で泣きわめく子どもの声がいくつも場内に響き渡り、親がいくらなだめても泣き止まない子は、哀れ親子そろってご退場…。恐怖を克服することで子どもは成長するものだと言います。それが本当なら、あの子たちにももう少しがんばって見続けて欲しかったような気がしました(ちょっと酷かな)。
最後に、ひとみ座初演時のチラシの画像と、その裏面に載せられた青江の小文をアップしておきます。

人形こそは人間
(ホッツェンプロッツ脚色によせて)
青江舜二郎
まだ読売新聞が、毎年の国際演劇月の行事として児童演劇コンクールをやっていた頃、私もその審査員の一人だった。15年以上も前のことだろうか。
他の児童劇団はたいてい東京の劇場で参加作品の公演をやるのに、ひとみ座は横浜や川崎の小学校の講堂でやる人形劇で最初の年は参加した。たしか明るい民話劇風の人形劇で脚本賞を受けたはずだ。そして二回目の参加、場所は横浜市鶴見区の小学校。丁度梅雨時のむし暑い日、講堂に満員の生徒たちの中で、汗まみれになって私がみた人形劇は、ロシアの雪の精マロースとイワンが登場する「寒さの森の物語」だった。暑さも吹きとばす迫力と新鮮さに感動した私は、審査会でこれを第一位に推した。ところが他の審査員は誰一人みていないのだ。こんな時にはたいがい一人の方が負けてしまうが、私はあきらめず推し続けた。そのせいか遂に「寒さの森〜」が第一位になった。次の年は「悪魔のおくりもの」で、これは数人の審査員がみたので文句なしに最高賞を得た。
シェイクスピアの「マクベス」も忘れられない。渋谷の東横劇場の大舞台でシュールでメカニックな、それ故に各々の個性がより強烈に迫る人形たちの凄じさ、もう一つの驚きは、あの長い原作のセリフをほとんどノーカットで人形が演じたことだが、そうした二つの冒険にもかかわらず、対象とした中学生の観客が、倦きずに最後まで舞台に惹きつけられていたのに、私はあらためて驚嘆し、この劇団の人たちを尊敬さえするようになった。私の知人で国際演劇協会副会長のギルダー女史が丁度アメリカから来ていたので、帝国ホテルから引っ張り出してみてもらった。女史は「表現も漸新だが、それよりもセリフこそがエスプリと云われるシェイクスピア作品を、カットなしで人形劇にしたのがすばらしい。スタッフの深い理解力がなければ出来ないことだ」と絶賛した。
それから10年、ひとみ座はぷっつり消息を絶った。児童演劇の発表会を東京都が主催するようになってもさっぱり出演しない、NHKに連続出演していると聞かされ、それでは舞台活動はもうやめたのかと、がっかりした。
昨年、『大どろぼうホッツェンプロッツ』という子どもの本を読んだ。おもしろくて面白くて、これを人形劇の舞台でみたらどうだろう、私自身で脚色もしよう、そしてやってもらうならひとみ座だ、そう思うとじっとしていられず大急ぎで行方をさがすと、なんと私とはいわば隣組の川崎の井田ではないか。早速連絡して、この話はたちまちきまった。ひとみ座は昔通り舞台に意欲を燃やしているらしいのだが、ではなぜ「東京都の発表会に出ないのか?」と私はたずねた。
「ひとみ座は川崎に腰をすえて10年、テレビだけでなく舞台活動を展開するなら、まず地域の子どもたちにおもしろい人形劇を提供するのが本筋だと思う」との答えだった。そして、親子劇場など市民文化運動とも手をつないでいろいろやっている―という。たしかにその通りである。またそうでなければならないのだと、私ははずかしかった。
ヨーロッパ各国には「子どもの時は人形劇、大人になればオペラ」という伝統がある。ゲーテが世界的名作「ファウスト」を書いたのも、子どもの頃みた「ファウスタス博士」の人形劇が動機だと云われている。今度はじめて人形劇脚本に書かせてもらった「大どろぼうホッツェンプロッツ」が成功してほしいと願わずにはいられない。