7月11日から14日まで、秋田に行ってまいりました。遅ればせながら、日記風に行程をご紹介いたします。
2009年7月11日(土)13:30、JAL1263便で秋田空港着。きわめて時間どおりで感動する。天気が心配だったが、昨日の大雨がうそのようなおだやかな空模様であった。
秋田市街に移動し、一度荷物をホテルに置いて、15:00すぎ、あきた文学資料館へ。現在行われている企画展[秋田の歌人 石田玲水]を見る。秋には同館で青江の資料展示が予定されているので、そのための参考になればという意味合いもあった。思いのほか目を楽しませる展示になっている。

「3面ある壁面に、何をどう飾るのかがポイントになりますね。一度ざっと配置してみてから、少しずつ修正していきます」と同館の展示担当者K氏。
17:30、秋田魁新報文化部を訪問。連載の担当者である部長代理のG氏、同じ文化部のM氏、そして地方連絡部長のT氏らと久しぶりに顔を合わせ歓談。
2009年7月12日(日)10:30、新屋に大嶋本家の八代目・大嶋健太郎氏を訪ねる。現代の感覚では少しわかりにくいが、青江の生家である茶町大嶋家(大嶋衛生堂)は、この大嶋本家の第一分家なのである。連載の中でも少し触れたように、この大嶋本家は青江が生まれたころは、新屋の町の税金の半分を一軒で負担するほどの資産家であったという。戦後の農地改革で今ではその面影はないが、現在でも健太郎氏はそのころと同じ場所に住居を構えておられ、庭には明治後期〜大正初期のものと思われる立派な蔵も残っている。

私は健太郎氏とはこれが初対面だったが、健太郎氏の父上の昌一郎氏は青江より3歳年下で、同じ秋田中学だったこともあり、かなり親しく付き合いがあったという。青江の評伝連載がきっかけになり、これまで縁が遠かった親戚の方とお目にかかるというのも、今回の大きな収穫かも知れない。「連載は毎回読んでいますよ」とおっしゃって下さったのも嬉しかった。
健太郎氏のご自宅からさほど遠くないところに、青江が昔、毎年のように海水浴に訪れたという新屋の海岸がある。現在は新屋海浜公園と名を変えているものの、見た目はなだらかに開けた白砂の海岸だった。ただペットボトルや空き缶などの漂流物が山積し、景観を害しているのが残念である。
昼すぎ、秋田市街に戻り、国の有形文化財に登録されている旧大島商会に一瞬立ち寄る。明治34(1901)年に建てられた秋田市内最古の煉瓦造り建築で、当時はかなりハイカラな百貨店であった。創設者の大嶋勘六(仙北郡から大嶋本家に婿入り)は、一時大嶋衛生堂の後見をしていたこともある人物で、午前中にお会いした健太郎氏の義理の大伯父に当たる。大嶋家の過去の業績がこういう形で残っているのはやはり感慨深い(現在は貸店舗となりフラワーショップが営業中)。

つづいて東海林太郎音楽館を見学。東海林太郎は大嶋家と親戚関係はないが、青江の母と東海林の母とが土崎の小学校の同級生で、結婚後も親しく付き合いがあったという。また青江の姉が嫁いだ中村八郎と東海林が中学の同級生だったという縁もあり、昭和47(1972)年に東海林が逝去した際には、青江は魁新報に「意思の強さ」と題した追悼文を書いている。人が多すぎてすべてが薄い東京と違い、「地域」での暮らしでは人間同士のつながりがずいぶんと濃密だ。
そして竿灯の実演をやっているという民族芸能伝承館(ねぶり流し館)へ。頭や腰に竿を載せ、バランスを取る絶妙の技には感心したが、やはり昼間の室内では物足りなさも残る。今年は日程的に難しいが、いつか本物を堪能してみたいと思う。

昼食をはさんで14:50〜16:40、秋田市制120周年記念式典を観覧。その歴史を顧みれば、明治時代にすでに鉄道が通り、上水道が整備されていたのだから秋田というのもなかなかの文化都市である。開場の5分前に秋田市文化会館大ホールに到着すると、千人を超える入場者で会場はすでにほぼ満員だった。
秋田市ゆかりの作家や詩人の文章を、女優の浅利香津代氏が朗読するというのが式典のメインプログラムになっていて、石川達三や伊藤永之介らと並んで、青江の随想もその中で紹介される。

その後、日没まで千秋公園を散策。市街が一望できるという久保田城御隅櫓はすでに閉まっていたのが残念。
2009年7月13日(月)秋田市を離れ、自然の豊かな象潟周辺を1日かけて散策。しかしこういう時に限って絵に描いたような荒天で、改めて自分の雨男ぶりが証明される。海はたけり狂い、鳥海山は影も形も見えず、どうにかお目当ての獅子ヶ鼻湿原の入口までたどりついたものの、足場の悪さに中に入るのは断念、近くの奈曽の滝だけを見て引き上げる。

夜、魁新報文化部のG氏とホテルの近くで軽く飲む。22:00で閉店というのはいいとして、22時を少し過ぎたと思ったら「すみませんがそろそろ…」と追い出しにかかるというのは早過ぎないか。30分程度は酔客をそのまま「放置」するのが飲み屋の良心だろう。のんびりした人間が多いと思っていた秋田で、あのせわしい客あしらいは正直意外であった。
2009年7月14日(火)いつの間にやら最終日。ホテルをチェックアウトし、10:00、大町にある旭北地区コミュニティセンターに中谷久右衛門氏を訪問。中谷氏は、少し前までは「中谷久之助」氏で、その名前で連載の3回目にも登場している大嶋衛生堂の「お隣さん」である。このたび、先祖代々の名前を伝えていこうと、九代目「久左衛門」を襲名したとのこと。もっとも現代では、歌舞伎役者でもない限り「襲名」とは言わず「改名」と言うそうだ。「祖先からの名前を後世に遺すのもひとつの文化の継承である」と70歳を過ぎて気がついたのだという。そういう理由での「改名」を役所が認めるということを今回初めて知った。なお、現在更地になっている大嶋衛生堂の跡地は相変わらず買い手がつかないらしく、前回よりも「売物件」の看板が大きくなっていたのには苦笑を禁じ得なかった。しかしこの不景気では、このまま何年も過ぎてしまうのだろうか。

12:00、秋田文学界ではその人ありと知られた井上隆明氏と昼食。おとといの市制120周年記念式典の朗読作品の監修もされている。青江の評伝も欠かさず読んでおられ、その感想をうかがいながらの午後のひとときとなった。また、魁新報の文化部長時代の武勇談をいろいろとうかがえたのも収穫だった。
その後、平野政吉美術館で藤田嗣治の「秋田の行事」などを見て、16:00、秋田県立図書館へ。文学資料館の担当の方と9月からの青江の資料展示についての細かい打ち合わせ。18:30、秋田空港に移動し、19:55、JAL1268便で東京戻り。
というわけで、なかなか盛りだくさんの4日間でありました。