先週末の9/3〜5は秋田に行っていたため、更新が遅れましたことをお詫びいたします。
さて、今回の評伝「卒論盗用事件」は、相手方がかなり名前の知られた学者で、今日でもその著作や講話のCDが出回っていることもあり、実名を明らかにすることにはいささか抵抗があったのですが、このあとの久保田万太郎との著作権侵害事件も実名で書くことを決めており、今回だけ匿名というのも統一性がないだろうということで、編集部とも相談の上、実名記載としました。ことの次第は、是非とも本文を読んでいただければと思います。
それにしても、仏の道を説く人物が、他人の論文を盗用して知らん顔をしていた、しかも自分の手を汚すことを厭い、ゴーストライターに論文を手渡しして、「ここから抜き書きをしなさい」と指示していていた、その人間性には、はなはだ首を傾げざるを得ません。しかし、このような事件が発覚しても、信者は彼を見捨てず、彼の「真理運動」も戦後まで命脈を保つのですから、人間というのは、一度信じたものをなかなか手放せない生き物なのかも知れません。
さて、今回もうひとつ、非常に悩んだのが青江舜二郎の本名の表記です。「
大嶋長三郎」というのが戸籍上の本名で、公式サイトなどでもそれで統一しています。しかし、今回の本文では「
大島長三郎」としました。それは何故かと言いますと、当時の新聞記事が以下のようになっているからです。
昭和四年東大文学部印度哲学科卒業、帝国少年団協会主事大島長三郎氏(三三)は、その卒業論文「仏陀時代における仏教と社会との交渉」の一部を「四姓制度に関する一考察」(従来アカデミー派の信じた印度の四姓制度、婆羅門、王族、商人、庶民階級の存在を科学的推論によって覆したもの)の表題下に東大印哲、宗教の機関誌『宗教研究』五月号に載せたところ…
(1936年6月14日 東京朝日新聞)
「真理運動」の総帥友松圓諦氏が少壮学徒大島長三郎氏(三三)の東大卒業論文を剽窃して堂々世に発表したことが明るみに出るや、狼狽した友松氏は十五日大島氏に会見を申込み「大島君の論文の一部を無断借用」したことを認めて陳謝し…
(1936年6月16日 東京朝日新聞)
漢和辞典などで調べると、「
嶋」は「
島」の本字(元々の形の字)、また、「
島」が正字で「
嶋」は異体字、などとあります。最初に「山」と「鳥」を合わせた「
嶋」という字があり、それが簡略化されて「
島」になったわけです。ですから、どちらを使っても間違いではなく、実際、青江の卒業証書などを見てみると、見事に「
嶋」と「
島」が入り混じっています。戦後、当用漢字の普及にともない、画数の多い漢字が使われなくなったように思われがちですが、現実には、大正時代から「
島」も日常的に使われていたことがわかります(下写真参照)。

だから、「どっちでもいいじゃん」で終わる話ではあるのですが、やはり表記の不統一というのはあまり好ましいものではありません。「
大嶋」と「
大島」では、目で見て感じる印象も違います。なお、私自身も今では「
大嶋」ですが、高校時代までは「
大島」でした。青江が亡くなった時に戸籍を改めて見て、「
大嶋」が正式の表記であると知ってから変更したのです。似たようなケースとしてわかりやすいのは、ミスターこと長嶋茂雄でしょうか。今では「
長嶋」で統一されていますが、現役時代、あるいは最初に監督を務めていたころは「
長島」でした。これに関しては
「長嶋」か「長島」か?というサイトで詳しく解説されています。
というわけで、本当なら現段階では「
大嶋長三郎」で統一したいところなのですが、古い新聞記事の引用を生かすため、今回はあえて「
大島長三郎」と記載した次第です。
付記
「
嶋」と「
島」の表記については、上に挙げた長嶋茂雄のほかにも気になるケースがあります。それは「
高島ファミリー」。父親だけが「
高島」で、息子二人は「
高嶋」表記なのです。一見不可解ではありますが、芸能人の場合は姓名判断や画数などをかなり気にすることもあるようなので、その辺の事情によるのでしょうか。