連載のお話をいただいたのは、一昨年の11月でした。願ってもないことだと、喜んでお引き受けしたのですが、私は、映画の脚本は何本か書いた経験はあるものの、評伝も新聞連載も初めてで、ノウハウはまったくありません。何か参考になるような本はないものだろうかと記憶をたどった時に気づいたのは、世の中に作家の「娘」の書いた伝記というのは数多くありながら、「息子」が書いたものは何故かあまり見当たらないということでした。最近も、漫画家3巨頭(水木しげる、赤塚不二夫、手塚治虫)の娘たちが父親を語った『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』という本が出ましたが、こうも「父―娘」路線が強いのは、フロイトのいうエレクトラ・コンプレックスのなせる技なのでしょうか。
作家に限らず、著名人全般を想起してみても、父について息子が綴ったものはそれほど多くないように思われます。ここ数年の間に私が目をとめて読んだものといえば、『父 山本五十六 家族で囲んだ最後の夕餉』と『名優・滝沢修と激動昭和』くらいでしょうか(いずれも故人の長男が執筆)。それぞれ興味深いところはありましたが、どちらも作家の伝記ではありません。もう少し、執筆の参考というか、拠り所になるものはないかと思っていた矢先、新聞のコラムで取り上げられていたのが平井一麥氏の『六十一歳の大学生、父野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』でした。早速ネットで注文して読み始めました。厳密にいうとこれは伝記というよりは回想録で、小説家の野口冨士男が1933年から亡くなる直前までつけていた日記を、長男の平井氏がパソコンに入力する作業を通じて、改めて見えてきた父親像を語るという体裁を取っています。したがって全体の半分くらいは日記からの引用ですが、その一方、「作家の家族であるということは、(中略)結構ヤッカイなのだ」「小説家とは『ムゴイ』職業である」「私小説家とは、ここまで書かなくてはならないのだろうか」など、作家を父に持つ息子の心情が、素直に吐露されていて大いに共感するところがありました。これを読んだおかげで、私も、青江の書き残した「父の略歴」を大いに引用し、それに、時々の事件の説明や、自分の印象などを足していけば、どうにか1年約50回の評伝を書き通せるのではないかという自信が湧いてきたのです。もっとも、最初のうちこそ青江の文章の引用が多かったものの、大学に入学したあたりからは、独自調査の結果を書くことも多くなり、引用は大幅に減っていったのですが…。とはいえ平井氏のこの本は、連載終了までの私の1番の拠り所となりました。
独自調査について少し書くと、もともと私は文学研究者ではないので、あまり積極的にそういう作業を行うつもりはありませんでした。しかし、小山内薫が青江の戯曲「火」を評価し、それがきっかけで青江は小山内に師事したという話を書くことになった時、青江の手記にはそれが何という雑誌であったか書かれていなかったのが気になりました。わからないところはぼかして書くというやり方もありますが、せっかくの評伝なのだから、こういう大事なことはきっちり書きたいと考え、平井氏に倣って当時の青江の日記を引っ張り出したところ、そこにはしっかり『劇と評論』と書かれてあります。そうなると今度は、その誌面に小山内がどういう文章を書いたのかが読みたくなり、早稲田大学の演劇博物館に問い合わせてみると、バックナンバーが収蔵されているとわかり、そこで早稲田まで出かけて行って…というような具合です。そのあたりから火がついて、共立女子大学の劇芸術研究室を訪ねて「河口」の検閲台本を閲覧させていただいたり、「一葉舟」事件執筆の際には、新聞の縮刷版だけでは材料が足りず、松竹大谷図書館と国会図書館を回って、初演時の筋書本や、青江と久保田陣営が舌戦を繰り広げたという『週刊サンケイ』の投書欄を探し当ててコピーしたり…と、とにかくこの1年はずいぶんいろいろな研究機関や図書館に通いました。
戦争中の、中国大陸関係の資料は、専修大学図書館の高橋勇文庫(黒竜文庫)が大変充実していて、何度も足を向けました。小澤開作についての関係者の回想をまとめた『父を語る その二』(小澤征爾・編)や映画「モンテンルパ望郷の歌」の原作にあたる『残された人々』もそこで見つけて大いに助かったのですが、そこが私の住まいから歩いて行ける場所にあったというのは、実に幸運だったと思います。
資料に当たるだけでなく、関係者からの聞き取りも、可能な限り行いました。今年95歳になる青江の末の妹から始まって、大嶋衛生堂の元番頭の子息、高松時代の青江を知る医師、中華日報社の元社員、鎌倉アカデミアの教え子、日本テレビ開局当時のドラマ「少年西遊記」に主演した猿若清三郎氏、「法隆寺」の上演時から在籍の劇団民藝スタッフ、等々、直接お目にかかった方の数は15人近くになります。そういった方たちの口から語られる貴重な証言を通して、青江が生々しく蘇ってくるような感覚を何度も味わいました。
青江がその晩年を評伝執筆に明け暮れしたことは連載で書いた通りですが、その青江の評伝を息子の私が書くことになり、青江がしたのとまったく同じ、資料の収集や関係者の聞き取りなどの作業を行ったというのも、思えば不思議な話です。しかし、この1年間の体験は、通常では到底得がたい実に貴重なもので、これからの自分の人生にもひとつの指針を与えてくれたと思っています。「故きを温ねて新しきを知る」とは、よく言ったものです。
最後になりましたが、連載中、メールや手紙などで感想や激励のお言葉を送って下さった方、そして評伝とこのブログに長期間お付き合い下さったすべての方に、この場を借りて改めて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。